カテゴリ:まじめコラム( 27 )

共感的な態度

 ボクが理事をつとめるNPOぐらす・かわさきのニュースレターに書いたコラムです。人が人を評価することの危うさと悩ましさを取り上げました。どうすれば共感的な態度を身につけることができるのか?自己に対する内省の文章でもあります。ちょっと長いけど読んでみてください。

 川崎市多摩区は「磨けば光る多摩事業」という市民提案型の協働事業を実施しています。今年度の事業額は約200万円です。額は少ないものの、市民の日常的な気づきを活かした公共サービスを生み出す点で意味の大きな事業です。今年度はぐらす・かわさきを含めた7団体が事業を提案し、このうち4団体の事業が選考されました。この提案事業を評価・選考するのが「審査会」です。なお、ぐらす・かわさきは、これまで2度応募しましたが、いずれの提案事業も落選しています。
 だからというわけではありませんが、この選考過程に関する記録を情報公開条例に基づいて公開請求してみました。その結果、「審査会」の会議録、採点表など、「磨けば光る多摩事業」に関するたくさんの文書が昨年秋に公開されました。全国各地で同様の協働事業が広がっていますが、事業の透明性と公正性に疑問のある例も少なくありません。市民と行政との協働が新たな癒着やミニ利権のようなものを生み出しては、せっかくの「芽」をつぶしてしまいます。情報公開を求めたのは、そんな問題意識からです。
 情報はめでたく公開されました。しかし、公開された会議録を読み進めていくうちに、私は少し暗く重い気分になりました。それは、提案事業に対する「審査会」委員の発言の中に、すごく「いやな感じ」の言葉が散見されたからです。
 たとえば、今年度の会議録では、選外となった提案事業について「狙いはよいと思うが、ラフな計画」、「人件費や報償費、募集方法等も具体性が見えない」、「思いつき的でちょっと計画性が甘い」など、委員の辛らつな評価が並んでいます。「審査会」委員は学識経験者だけでなく住民代表もいます。同じように地域で暮らし、働く「仲間」であるはずの人たちの、上から下を見下すような視線。それが、「いやな感じ」の理由なのかもしれません。
 評価・選考に先立ち、提案団体は「審査会」で事業の目的や内容を説明します。提案事業に難点があるならば、その場で指摘して、それをどのように改善していくのかをたずねることもできたはずです。玉と石とを選り分けるのではなく、そのように石を磨くのが事業の目的だったはずです。
 必要に応じて「補い助ける」ことこそ「仲間」としての役割・使命です。ところが、官尊民卑が根強い日本社会では、役所にかかわる地位や肩書きを得ると偉くなった気分になり、ヨコではなくタテの関係で物事を考え、話す人がいます。「仲間」に対する共感が弱くなるのは、そんな風土の名残りといえます。
 以上は自戒の言葉でもあります。私は横浜市指定管理者制度委員会の委員として、第三者評価機関の選考に関わっています。また、ぐらす・かわさきでは「ぐらす基金」の応募事業の選考を担当してきました。また、予備校講師をなりわいとしていて、他者に対する評価を日常業務としています。「上から目線」にならぬよう気をつけているつもりですが、同じ人間そして「仲間」として相手に共感し、それぞれの考えや行動を尊重しているかを自問し続けなければ…と痛感しています。
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by sosronbun | 2009-02-05 23:44 | まじめコラム

市民活動団体への助成

 今日の午後は、市民活動団体に対する助成金の公開選考会がありました。ボクが理事をつとめるNPO「ぐらす・かわさき」の「ぐらすサポート基金」という助成事業です。1団体の上限10万円で5団体を募集したところ、なんと17団体も集まりました。ボクは選考委員会のメンバーとして、各団体のプレゼンを聞き、質問をし、採点をする役割です。
 と一口に言っても、実際にはなかなかタイヘンです。各団体が助成を受けたい事業の目的、内容、方法等を5分程度でプレゼンテーションをします。そして選考委員が分担して3分以内で質問をし、社会性、地域性、参加性、実現性の四つの観点から即座に採点するのです。それが17団体も延々と続くのです。応募団体の皆さんは表現方法も工夫して一生懸命にプレゼンするので、選考委員は一瞬たりとも気が抜けません。ほんとに疲れ果ててヘトヘトになりました。
 しかし、これは心地よい疲れでもありました。市民活動とは自分の思い(問題意識)を社会・世界につなげていく営みです。まさに社会科学系の演習テストで取り上げた「公民」が担う活動です。かつて柳田國男は日本人は「公民たりえていない」と嘆きましたが、川崎という小さな地域でもこんなにたくさんの「公民」に出会えたことが、ボクにとっては心地よかったのでしょう。最終的には以下の5団体を選考し、助成金の支出を決めましたが、予算が許せばすべての団体を助成したかった・・・。

 ○多摩応急手当普及会:AEDトレーナーの購入と救急講習会での活用
 
 ○NPO法人サイレント・サポート:精神障がい者への理解を進める学習会の開催
 
 ○のぼりとゆうえん隊:大学生の参加による「まち受信マップ」の作成
 
 ○世界のひろば:地域の外国人と交流する多文化カフェの開設
 
 ○若年性認知症グループどんどん:若年性認知症と向き合うための冊子の発行
 
 以上の事業費(今年度)はしめて50万円。それだけでも、いろいろなことができるんだなあ・・・と、お金を自分のこと以外にも使うことの面白さ(無限の可能性)を改めて実感しました。「ぐらすサポート資金」もまもなく枯渇します。「自分のためのお金」でなく、ましてや「お金のためのお金」ではなく、「他者や社会のためのお金」の流れをもっと大きくしたいものです。
 
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by sosronbun | 2008-07-12 23:10 | まじめコラム

ギョーザ騒動

 ひたすらしゃべりまくっていた「地獄の三日間」から無事生還したら、世の中は例のギョーザの件でたいへんなことになっていました。おりしも栃木での講演の帰りに、宇都宮駅で冷凍ギョーザを買ってきていたので、ちょっとびっくりしました。しかし、宇都宮の老舗「みんみん」のギョーザなので大丈夫です。明日あたり家族で食べようと思ってます。ギョーザに罪はありません。がんばれっ!宇都宮ギョーザ・・・という感じです。
 今回の騒動にも、授業で話した「体感不安」による過剰反応がみえます。
 少なくとも現段階では、一番重要な毒物混入の経過が何もわかっていません。中国の製造工程で混入したのか、日本を含む流通過程で何者かに入れられたのか不明です。また、全国に600名超もいるという、中国製の冷凍ギョーザを食べたあとに具合が悪くなった人たちが、本当に毒物にやられたかどうかはわかりません。
 不安の根拠となる事実が明らかになっていないのですから、これは「体感不安」です。ところが、世の中は「中国製の冷凍ギョーザを食べた人が、全国各地で具合が悪くなっている」というイメージであふれています。そして、この中国企業の冷凍食品を中心に商品の回収を始めた業者、中国発の食品はすべて危険と考えて購入店に返品する消費者など、社会の反応は激化しています。過剰反応が当該の中国企業→中国製・中国産の食品→ギョーザや輸入食品へと、風評被害を拡大させないことを祈るばかりです。
 こうした体感不安と過剰反応を結果としてあおっているのは、やはりテレビです。むしろ、事態の冷静な認識とそれに基づく落ち着いた行動を求めることが本来の役割だと思うのですが・・・「何だが不自然な事件だなあ」というのがボクの第一印象で、毒物混入は偶然ではなく、そこに何らかの「意図」があるように感じています。ただ、それこそボクの体感なので、事実が判明するまでは安易な論評を避け、事態を注視することにします。
 ということなので、皆さんも「疑わしきは論ぜず」と冷静な姿勢でいましょう。今回の騒動を具体例として使おうなんて考えない方が良いです。
 受験生は「万が一」をおそれるだろうから、やはり受験が終わるまでギョーザは食べないのでしょうね?皆さんのかわり、ボクがたくさん食べることにします。ただし、毒物ではなく、食べ過ぎて具合が悪くならないよう気をつけます。
 
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by sosronbun | 2008-02-01 21:02 | まじめコラム

「論」の氾濫

 先日、会議で同席した研究者が言っていたのが、現代社会における「論」の氾濫です。事実に基づき、筋道を立てて、自分の意見を述べるのが本来の論です。ところが、その基礎となる事実抜きに、感じたことを脈絡なく連ねるカギカッコつきの「論」が、世の中にはあふれています。これでは、小論文の答案でも失格です。
 ボクが専門としてきた情報公開制度は、論の基礎となる事実に関する行政情報を入手する道具の一つです。この制度を活用して事実を明らかにし、官官接待、塩漬け用地(土地開発公社の長期未利用地)をはじめとする論を興しててきました。そうした経験からも、「論」の氾濫という彼の問題提起に共感しました。
 そんなおり、昨日の朝日新聞の「耕論」というコーナーに、違う角度から「論」を論じる対談「今、論じるとは」が掲載されていました。音楽評論家の渋谷陽一さんと作家の高橋源一郎の対談ですが、その中で「リアル」というキーワードが取り上げられています。わざわざ取り寄せて読まなくても構いませんが、手近なところにあったら読んでみてください。
 この対談では「リアル」が「わかりやすさ」(実感?)に転化してしまっているのですが、氾濫する「論」には、他の面でもリアルさが欠けているのでは?というのがボクの感想です。ボクのいうリアルとは、「論」がもたらす現実への想像力ともいえます。
 ほんの一例として、人気者の知事が「徴兵制賛成」の発言をしたことを取り上げましょう。これに対して、兵にとられる若い世代から何の反発も出ない点に、リアルの欠落が象徴されています。誰が兵にとられ、その結果どうなっていくのか、そして自分はそれを望んでいるのか・・・と考えていけば、発言は彼らしいシャレと笑っていられないはずです。「論」を受ける側だけでなく、おそらく送る側もリアルさを欠き、それが「論」の軽さを生みだしています。
 上記の対談の終盤は、「プロ」の役割が論点です。リアルに結びつける想像力を発揮し、それをわかりやすく伝えていくことは、誰にでも簡単にできることではありません。小論文で苦闘している受験生ならば、わかりますよね。誰もがブログを使うことはできるかもしれませんが、それが直ちに、かつ自動的に「プロ」を生み出すわけではありません。問題は、論じることができる「プロ」が少なくなっていることです。「論」の氾濫は、それを象徴しています。
 予備校での小論文の授業は若い世代の「はじめの一歩」ですが、近いうちに、いろいろな世代の「プロ」を養成していく取り組みを始めようかな?などど、また余計な仕事を増やすことを考えています。
 
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by sosronbun | 2008-01-14 10:36 | まじめコラム

『暴走老人』を読む

 例によって詳細は企業秘密ですが、駿台・冬期講習で現代若者論をテーマに出題しました。そのときに解説したのですが、理念・根拠なき保守化(2007年)、問う能力の欠落(2006年)など、慶大法の出題の背後には現代の若者に対する眼差しを感じ取ることができます。時代をさかのぼれば、グライダー人間とモラトリアム人間(1987年)があり、「今の若い奴は・・・」という視点での出題は歴史もあり、出題例も多いのです。
 こうした出題では若者に対する否定的な見方が一般的です。しかし、出題者はこの見方を強制しているのではなく、むしろ跳ね返すバネ(メディアリテラシー=与えられた情報を疑う力)を期待している節もあります。確かに「今の若い奴は・・・」と言われて、安易にうなずいたり、自己嫌悪に陥る若者だけだったら気味が悪いし、明るい未来も期待できません。
 跳ね返すときの一つの素材となりえるのが、タイトルの『暴走老人』という著書です。芥川賞作家の藤原智美さんの著作です。ボクも先日ようやく手に入れて、いま読み始めています。数時間で読める内容ですが、読むよりも書く仕事を大量に残しているため、時間がなく読み終わっていません。でも直感ですが、どこかの入試で出題されそうな内容です。
 まず「キレる若者」という世間の常識(?!)に対して、「キレる老人」を対置させた点が“買い”です。小論文の出題のほとんどは、常識とのズレを指摘した問題提起的な課題文が少なくありません。また、「キレる老人」という具体例の中に、筆者が現代社会の問題(時間、空間、感情)を発見している点も参考になります。小論文における問題発見の重要性は以前書いたとおりで、筆者の問題発見に対する論評もよく問われる内容です。
 『暴走老人』というタイトルですが、実は「老人論」ではなく「現代社会論」なのです。皆さんの家族の中にも、すでに読んだり、読みたがっている人がいるかもしれません。1冊1,050円ですが、これなら“おねだり”の許容範囲かも・・・。受験生はボクのように老眼ではないと思うので、さくっと読めるはずです。受験のためというより、気分と発想・視点を転換するため一読をすすめます(アフィリエイトしてるわけじゃあないけど・・・)。
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by sosronbun | 2007-12-28 22:48 | まじめコラム

コンビニ弁当の再生食堂

 まさに「師走」ですごく忙しくって、「新しい公共フォーラム」の報告もようやく第2回目です。
 テレビでも大きく取り上げられてきたので知っているかもしれませんが、舞台は路上生活者が多く暮らしている横浜・寿町です。そこでは、路上生活者の自立支援をしているNPO「さなぎ達」が活動しています。フォーラム分科会には、その理事・事務局長をつとめる櫻井さんが出席してくださいました。
 リンク先のHPを見ればわかるように、「さなぎ達」はさまざまな活動をしています。今回は、その中の一つ「さなぎ食堂」について報告していただきました。櫻井さんたちはホームレスが昼間集える場所として「さなぎの家」を運営しています。そこでは路上生活者に支給されるパン券1枚または300円で温かい食事を提供しています。その「機能」が「さなぎ食堂」です。
 路上生活者には高齢者が多いにもかかわらず、栄養のある食事をとることができません。しかし、NPOが提供できる食事には予算や人手の面で限界がありました。そんなとき、コンビニのローソンが余剰食材の受け入れ先を探していて、それを横浜市が櫻井さんたちにつないで実現したのが現在の「さなぎ食堂」です。
 「さなぎ食堂」では、消費期限前のパンや弁当を一つ50円で販売しています。また、コンビニの工場で出た余剰食材(揚げ物やお惣菜)を最調理して、300円の定食に再生させます。「さなぎ食堂」のブログには、定食のメニューが紹介されています。いずれも、こうしたNPO,企業、行政の協働がなければ、ゴミとして捨てられる運命にあった食材です。
 ローソンはこれにより廃棄食品の1/3を減らし、「さなぎ食堂」の利用者も1日平均で50人も増えました。これらは無償提供され、売り上げは「さなぎ食堂」や「さなぎの家」の維持に活用されます。
 櫻井さんの報告を聞いて、実に大切な仕事をしているなあと感激しました。そして、市民活動やボランティア活動がインターフェイスを広げていくことで、いろいろな可能性が開けていくことを再確認しました。何となく閉塞感が漂う時代ですが、人間と人間がつながることの面白さを受験生の皆さんにも知ってもらいたいと思い紹介します。
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by sosronbun | 2007-12-25 00:20 | まじめコラム

ダイバーたちの大掃除

 昨日は、以前紹介した「新しい公共フォーラム」があり、約200人が参加しました。舞台裏での後房雄さん(名古屋大学法科大学院教授)との雑談も刺激的で面白かったのですが、受験生には少し難しい話もあるので、分科会に登場したNPOの皆さんを紹介しましょう。ボクはその分科会のコーディネーターをつとめたのですが、それぞれの話がとても魅力的だったからです。
 その第1回は、海をつくる会の坂本さんの話です。
 上のリンク先を見ればわかるように、彼は海をまもり・つくるために実に多彩な市民活動をしています。そのうちの一つが、記事タイトルにあるダイバーたちの大掃除です。横浜の山下公園前の海の底には、モラルのない人が捨てたゴミが埋もれています。空缶やペットボトルだけでなく、自転車、タイヤ、ビーチパラソルなどなど・・・坂本さんたちは、もう25年以上も前からその掃除をしています。
 ただ掃除といっても、そのへんにあるゴミを拾うのとはまったく違います。海底にあるゴミなので、もぐって引き揚げるのです。ちなみに昨年は約40名のダイバーが参加し、引き揚げたゴミはなんと1.5トン!!もぐっては引き揚げの繰り返しで、気力だけでなく体力も必要な仕事です。何年か前からは芦ノ湖の湖底清掃を始め、今年は富士五湖の一つ西湖の清掃を行いました。
 また、彼らはゴミを引き揚げるだけではなく、「あまも」という海草を植える活動もしています。「あまも」が水質を浄化し、微生物や幼稚魚を育んでいくのです。分科会終了後に坂本さんに話を聞いたら、彼らが植えた藻場にカレイの稚魚が育っていたとのこと。せせこましい世の中で、なかなか大きな夢のある話だなあと思いました。彼はまだ若いのですが、思わず枯れ木に花を咲かせた「花咲じいさん」(ごめんなさい)をイメージしてしまいました。
 どんなに一生懸命にゴミを引き揚げても、ゴミはなくなりません。「あまも」を増やすには途方のない時間がかかります。それを徒労という人がいるかもしれませが、そのように理屈をつけて無為に過ごすよりは、「自分でできることは何でもやってみようよ」という生き方の方がボクはおもしろいと思います。坂本さんや他の報告者の話(生き方)を聞きながら、若い世代を対象とした「よく生きる」という意味での教養講座をいつかやってみたいなあ。
 まもなく年の瀬です。自分の家や車をキレイにするだけでなく、ダイバーたちの大掃除のように、海、湖、川をはじめとするコモンズ(共有財)もキレイにしたいと願い、行動する人が少しずつでも増えると良いですね。
 
 
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by sosronbun | 2007-12-13 23:29 | まじめコラム

日の丸・君が代

 今日はボクが連載を持っている月刊誌『ガバナンス』の原稿を仕上げました。テーマは福祉まつりから一変して、日の丸・君が代です。頭の切り替えがタイヘンですが、何とか書き終えました。
 1999年の国旗国歌法の制定を受けて、2002年に試行された学習指導要領では、学校において「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導する」ことが盛り込まれました。これに基づいて、東京都のように入学式・卒業式における起立と斉唱を教職員に強制する動きがあります。
 一方、一部の教職員は、過去に日の丸・君が代が果してきた役割に対する反発から、起立・斉唱を拒んでいます。教育委員会がこうした教職員の個人情報を収集していますが、それがプライバシー侵害にあたるとする判断が相次いで示されました。ボクの原稿はそれをわかりやすく解説したものです。
 学校における国旗国歌の扱いについては、慶應大学総合政策学部が2005年の論文テストで出題しました。それぞれの思想・信条がからむだけに、解答に窮した受験生も多かったともいます。出題者もそれを想定・配慮し、どのような立場をとるかは採点対象外とし、あくまでも論理性を評価する旨を明示しています。
 国歌斉唱時に起立しない教職員の個人情報の収集も、そのように冷静に論理的に考えるべきなのですが、国旗国歌をアイデンティティとする人も多いため、理性を忘れ不必要に過熱しがちなのが実情です。受験生の皆さんは学校における国旗国歌の扱いについて、どのように考えますか?また、これを強制する現状をどのように評価しますか?
 普段あまり考えることのないテーマだけに、自分自身の考えを整理してみてください。
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by sosronbun | 2007-12-11 23:30 | まじめコラム

死刑執行の情報公開

 重い話なのでスルーしても構いませんが、ボク自身も事実と向き合いたいと思い記します。
 今日の夕刊各紙は3人の死刑囚の刑の執行について、初めて氏名が公開されたことを大きく報道しています。かつて、マスコミの記者研修で情報公開について講演したときに、ときどき質問されたのが死刑執行の情報公開です。当時は公開が困難だったため、「からめ手」から情報を入手する術をアドバイスした記憶があります。 長い年月を経て、今日、ようやく死刑執行の情報公開が実現したのです。
 その記事を読み、はじめて公開された死刑囚の名前をみて驚きました。そこに同級生だった男の名前があったからです。確かボクが大学院生のときだったと思います。彼は女性にふられたことを恨み、彼女ばかりか母と妹を殺害し、その事実を知った友人を口封じに殺害しました。当時大きく報道され、同級生のボクも大きな衝撃を受けました。彼とは保育園、小学校、中学校と同級生で、親しくはなかったのですがそれなりに知っていました。
 記憶に残っているのは、自分より弱い者をたびたびいじめていたことです。彼もケンカが強い方ではなかったので、いじめられることが少なくありませんでした。「抑圧委譲」という言葉がありますが、彼は弱い者をいじめることで自己の抑圧を軽減していたのでしょう。
 それと、殺人を犯し逮捕されたときか、初公判のときだったか忘れましたが、報道陣に対して彼がピースサインをしたことを鮮明におぼえています。自分が犯した罪の重さの自覚を感じさせない振る舞いに、誰もがびっくりしたと思います。しかし、彼の生い立ちを知っているボクは、目立たない奴だっただけに、メディアの注目を浴びて興奮状態にあったのかもしれないと考えました。しかし、こうした形でしか周囲から注目されない、自分を認めてもらえなかった・・・、その振る舞いは肯定はしないけれども理解できるものでした。思春期に自己肯定感を得ることの大切さを実感したことをおぼえています。
 その彼が死刑になりました。彼に殺害された犠牲者のご冥福を祈るとともに、こういう形でしか認知されなかった彼の存在について改めて思いをめぐらしたいと思います。 
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by sosronbun | 2007-12-07 23:41 | まじめコラム

メディアリテラシー

 以下が早大政経AO入試にほぼ的中(?!)の演習テスト「出題の意図」の記述です。そのまんまというわけにはいかないけれど、「わかりやすい言説」が好まれるなど…今回の論述問題でも使えると思います。解答速報的に読んでください。こっちの出題が1年早かった・・・やはりボクはせっかちなのです。

 論文を書くことは、課題文にもある「メディアリテラシー」を獲得することと同じです。社会科学系論文は課題文が出題されることが多いのですが、その内容にうなずくだけでは独自性のある答案を書けません。与えられた情報(課題文)の内容を正しく理解したうえで、筆者に問いかける力が必要不可欠です。それは、まさに課題文が「メディアリテラシー」としてあげる「批判的読み取り能力」です。また、問いかけに対する答えを筋道たてて説明(展開)しなければ、主張は単なるひらめき・思いつきにとどまり説得力を欠きます。「論理的思考力」は「メディアリテラシー」だけでなく論文を書くときにも欠かせない能力です。
 しかし、論文を書くことも「メディアリテラシー」を獲得することも、実際には容易ではありません。マスコミやコンピュータネットワークを通じて、毎日のように私たちには大量の情報が提供されています。それらを消費するだけで"いっぱい、いっぱい"で、情報の内容を批判的に検証し、それに基づき自分の考えを整理、表現する余裕はありません。しかも、社会・世界が多様化、複雑化しているため、批判や思考の軸となる“モノサシ”(価値観)に確たるものはなく、何を基準に与えられた情報を評価するのか私たちはいつも揺れ動いています。誰もがその“しんどさ”から逃れたいと考えるから、「わかりやすい言説」が好まれるのです。
 論文対策でマニュアル本がもてはやされるのも同じ構造です。水のように“低きに流れる”のでなく、思い切り背伸びをして“しんどさ”に立ち向かってください。それは、マニュアル本やネタ本という情報に依存するのでなく、継続的な学習を通じて自分の頭で考える経験を増やしていくことです。まだ始まったばかりですから、ぼちぼちと、しかし着実に論文に取り組んでいきましょう!
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by sosronbun | 2007-11-11 23:50 | まじめコラム