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二項対立的な思考

 慶大法の論述力試験は、少なくとも過去15年間は3年周期で出題形式(設問内容)を変えてきました。これは、受験生が傾向に基づき対策を講じることへの「備え」ともいえます。過去3年間(2006-2008)は要約を求める出題だったので、当然、課題文の要約を練習しますよね。そんな対策バッチリの答案ばかりでは、入試の目的である「差」がつかないので、ときどき傾向を変えてリフレッシュするのでしょう。これをもっとも徹底しているのが慶大文です。この学部は毎年のように出題形式が違うので、解答方法を決め込まずに柔軟に対応することが必要です。駿台の青本にも3年周期説を紹介しましたが、さて、大学はどうでるか?
 慶大法のもう一つの傾向は二項対立です。2007・2008の出題は課題文を要約すると、テーマに関して二つの立場があることがわかります。これを仮にXとYと表現しますが、そのようにして論点・争点をつかんだ上で、いずれが正しいのかを論じさせる出題です。レギュラー授業や講習でも説明したように、二項対立は法学的思考の一つです。判例解説も原告X、被告Yそれぞれの主張と、それに対する裁判所の認識、判断を紹介するのが、よくあるパターンです。そもそも裁判というのは白黒を決着する手段なので、このような二項対立は不可避ともいえます。なお、2008年の東大後期試験は、輸血拒否をめぐる判決を課題文として出題し、判旨(論旨)の説明と、主要な争点に対する見解を問う出題でした。
 さすがに判決文は出ないとは思いますが、二項対立的な思考に慣れるとともに、その限界についても理解しておきましょう。限界とは人間の存在やそれぞれの考え・行動の多様性です。法学的思考に多少の冷たさを感じるのは、複雑であるはずの人間や社会を単純化し、ドライに判断するからに他なりません。「大岡裁き」のように人情を裁判に持ち込むことが好まれてきたのは、二項対立的な思考に対する人々の嫌悪感が背景にあるのかもしれません。一方、裁判に人情を持ち込むことは、きわめて危険でもああります。裁判所は劇場ではありません。
 裁判員制度がスタートする年です。皆さんは、どう考えますか?
by sosronbun | 2009-02-03 16:21 | 社会科学系論文


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